下浦神社の秋祭りは、私達下浦町民が誇りとする祭りです。
この秋祭りを目当てに帰省される方もいるほど。
当日はたくさんの方が沿道で祭りを見守ります。
毎年10月の第3日曜日が下浦祭りです。是非ご覧になってみませんか?
下浦神社の秋祭り 獅子舞の紹介
下浦神社は、宝暦5年(西暦1755年)に天照大神を主神として応神天皇、天津児屋根命、阿蘇神社十二の宮の十五柱の神々を勧請して創立された村社であります。その頃現在のような神殿や拝殿ができたようです。それ以前にも村人の心の拠り所としての神社はあったといわれています。例祭日は旧暦の9月15日に行われてきましたが、多くの方々にお詣りいただこうと最近では、10月の第3日曜日に行われます。このお祭りは五穀豊穣を願い秋の収穫を祝い、村民の健康と弥栄を神に感謝するお祭りです。
お祭りの当日早朝4時30分ころ、御神輿のお立ちの祭礼が行われます。まだ真っ暗な中に長さ2m~3mの竹竿の先に付けた御神燈を氏子の皆さんが掲げもって御仮屋様まで御神輿のお上りです。午後の神幸祭には、大太鼓小太鼓をたたき、笛の音に合わせた鳥毛、はさみ箱、台傘、立傘、獅子、稚児行列、小学生の樽神輿などの行列を町中総出で見守ります。途中の「浜宮」で秋祭りの神事が行われます。ここでのメインイベント獅子舞は力が入ります。
下浦獅子舞
下浦神社の獅子舞は、神社創立後、近隣の倉岳町の宮田から伝わり、下浦から瀬戸の海峡を越えて下島の各地へ広まったようです。獅子に頭をかまれるとその強い霊力で長生きする、病気をしない、頭が良くなるなどと信じられている縁起物です。
下浦獅子舞は、従来特定の地区が担当することになっていましたが、昭和46年に有志で獅子舞保存会を結成し、下浦神社の祭りにはもちろん、広く各地で活動を展開しています。下浦獅子舞の特徴は、二人で一頭の獅子を操り、青獅子と赤獅子が一対となって、笛や太鼓、鐘の音に合わせて、玉降り役の子どもと共に躍動感あふれる舞を見せます。天草島内はもとより熊本県内でも類を見ない活発な動きで見る人を圧倒し感動させます。
下浦獅子舞保存会
下浦獅子舞は、第百十六代桃園天皇の宝暦五年(西暦1,775年)天照大神を主神として、下浦十五社宮の創立以来、実に261年にわたり、下浦町に伝わる伝統芸能として子々孫々に受け継がれ現在に至っています。
日本経済の高度成長の時代の流れに伴って、若い人達は次々と都会へと出てしまい、後継者がいなくなり、この伝統ある獅子舞は途絶えようとした時期があった。
昭和45年までは玉振りの青や赤、獅子の青獅子・赤獅子、笛や太鼓・鳥毛等それぞれ、秋の大祭の役割が各地区に割当てられていた。当時は祭り(旧暦9月15日)の1ケ月前になると、出稼ぎの人たちも仕事場(全国)から帰って来て毎夜練習をしていた。その頃は神に仕える者は女性禁止。神様が焼きもちを妬かれるということで、一ヶ月前から夫婦でも別居、一週間前からは女性が調理したものも食べてはいけないので親父がご飯を炊いて男同士で食べていた。その頃、町は過疎化が進み、神社では秋祭りの人集めが出来ない状況になった。特に獅子舞は舞いがハードなため、各地区の割当てでは維持できなくなった。そこで何とかこの伝統ある郷土芸能を守り、育てようと町内に残る有志の手によって、昭和46年に下浦獅子舞保存会を結成し、地域の皆様のご理解とご協力をいただいて、継承し現在に至っています。
女性を加えることは、当初は総代さん方からきつくおしかりを受けました。結成時は会員数32名(男性28名、女性4名)でスタートしました。
現在では約30人で構成されていますが、会員の年齢が徐々に高くなってきており、今後の後継者育成が急務になって来ています。
しかしながら、若者の人材不足、ボランティア団体活動などへの参加意識の低下によって、新規加入がままならない状況にあります。そのため全国各地で開催されているイベントや大会などの郷土芸能「下浦獅子舞」の披露を行い、郷土芸能の素晴らしさをPRし、勧誘などの後継者育成を行っています。
主な活動歴
昭和57年の「ふくおか大博覧会」
平成2年「県民文化祭あまくさ」出演
同 2年「県総合青年祭」出演 (優秀賞受賞)
同 3年「県総合青年祭」出演 (最優秀賞受賞)
同 3年「全国青年祭」出演:東京都(優秀賞受賞)
同 3年「ニッポンふるさと博‘91 第17回日本の秋祭り」出演:東京都
同 6年「清和文楽人形芝居公演」友情出演
同 6年「地域伝統芸能全国フェスティバル」出演:熊本市
同 8年「天草五橋開通30周年・国立公園指定40周年記念式典」出演
同 8年「第12回熊本県民俗芸能大会」出演:熊本市
同10年 本渡市・アメリカエンシニタス市姉妹都市締結10周年記念式典公演 於エンシニタス市
同10年 第4回日本の祭典公演 於ニューヨーク・カーネギーホール
その他多数