野中 実と申します。
大学を卒業した後数年熊本市内で働き、
7年くらい前に下浦町に戻り、実家の農家を継ぎました。
ポンカン、デコポン、晩柑を作っています。
下浦町の何を紹介しようかと考えた結果、
地元の方も中々知らない場所をと思いました。
私の下浦町での生活の最も強烈な思い出は、小学生の頃の登下校です。
片道約5キロ、そのうちの1キロくらいは”山道”でした。
20年前でも、”山道”を歩いて通学する小学生って
日本中探してもあまり居なかったのではないでしょうか。
整備されていない獣道を歩くのが私たち(同じ地区の友達)にとっては当たり前で、
今でも”山道通学”は思い出話によく登場します。
“山道通学”は、私から2学年程下から、
危険との理由で親の車の送迎に変わり無くなりました。
もうあの道は今は使われていないんだと思うと、寂しくなります。
今、あの山道はどうなっているんだろう。
通学途中にあった「はげっぱ山」はどうなっているんだろう。
行ってみました。
登りの道はすでに雑木林となっていたので、
下浦第一小学校(現本渡東小学校)側から下り(といいながら登り坂)で潜入。
小学校からすぐ近くにある山道の入口からすでに登り側と同じく雑木が…
意を決して若木をかき分けて入ると、見慣れた山道がそこに。
20年前の記憶がブワ〜っと脳内に広がります。
ハーフパイプ状の獣道。
かつて固い土と岩の上を小走りで通ってた道は、
誰も通ってないからか枯葉がモッサリ積もってフワフワでした。
倒木も多く、小さい枝から大きな木まで道を塞いでいました。
幾多の苦難を乗り越え、「はげっぱ山」にたどり着きました。
なぜ「はげっぱ山」といわれているかというと、
山の一部が草木が生えていない砂漠になっている場所があったからです。
久しぶりの「はげっぱ山」がそこにはありました。
でも、20年前とは景色が大きく変わっていました。
松の木がメッチャ生えてる!!
私は感動しました。
はげっぱ山も山道も、当時は小学校が通うために
保護者のみなさんに年に数回整備していただいていました。
あの頃広々と歩けていた山道もはげっぱ山も
今は木々をかき分けないと行けなくなってしまいました。
山道が役目を終えて自然に帰っていく様を下浦の山で確認できました。
「はげっぱ山」は今も確かにあり、私もはげっぱ山も長い時間を経て成長していました。
下浦町にはこれからも残していくべき、発信されていくべき、
誇らしい文化、産業、イベントなどが沢山あります(山道通学は無くなったけど)。
このひょっこりポンカン島では随時更新されていくので、是非これからもチェックをして頂きたいです!
最後に、はげっぱ山には行かない方がいいです。散策中何処かからイノシシの声が聞こえてきました。